精神分析としての無人島レコード

雑感

 「松田聖子論」「結婚の才能」などの著作で知られる心理学者・フェミニストの小倉千加子がとある著作の中(失念しました)で、ある人物のパーソナリティーを知るためには、その人物の父親の職業と購読している雑誌を尋ねる方が、本人に、自身のことを語ってもらうより、それを理解できると著述していました。

 確かに、購読している雑誌に関しては、現在進行形で、その人物が関心を抱き、必要としている情報の対象が判然としており、逆に、その雑誌がターゲットにしている購買層にカテゴライズすることも出来て、人物像を掴むことを容易にするものと思えます。(もっとも、最近では、雑誌というメディアは、めっきり売り上げも落ちて、もはやコンビニでは、雑誌売場がイートインコーナーに変わっているようではありますが。)

 個人が愛聴し、名盤とするレコード(音楽アルバム作品の総称の意)を「無人島に持っていきたいレコード」という表現にし、紹介する企画をしばしば目にします。しかしながら、その回答においては、紹介された名盤の知識を得ることよりむしろ、無人島というバイアスの中で、なお、不要不急ではないものとして選ばれたそのレコードから、前段の購読雑誌のように、逆に、回答者の人物像をうかがい知ることができ、それこそが実は、この企画の魅力になっているのです。

 未知の人物に出会った場合に、過去の履歴を語ってもらうより、無人島レコードを尋ね、その選択した作品とその理由を知る方が、むしろ、その人物を理解することができるのではないでしょうか。

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