90年代初め、私が大学に入学した当初、クラスコンパが新宿で開かれました。その席で、自己紹介が行われ、どんなサークルに入りたいのかと、生まれも育ちも都心部という生粋の都会派のクラスメイトから切り出されました。私は、軽音楽系のサークルで、ボーカルやギターをやりたいと答えたところ、どんな音楽を聴いているのかと問われ、「サザン、そして桑田佳祐」と答えました。結果、その都会派からは、ミーハー(死語)と言われ、自身は、70年代UKパンクやら80年代ニューウエーブやらを聴いていると言われ、音楽をやりたいと思っているあなたより、ずっと音楽鑑賞における私的経験について豊かであるとして、マウントを取るような表情を投げかけられました。
そこで、1987年に発表された桑田佳祐の初のソロアルバム「KEISUKE KUWATA」です。私的名盤と同時に、全くもって普通に名盤であり、編曲者としての小林武史の出世作として認知される作品です。
非常に売れたという意味で大衆性の強いこのアルバムには、実は、メッセージ性やプロテスト性の強い「路傍の家」や「愛撫と殺意の交差点」というアクの強い曲も収められており、混沌としていますが、それを小林武史が極上のポップソングへと吸収・昇華しています。
先述の都会派クラスメイトが、当時のサザンオールスターズや桑田佳祐のパブリックイメージ(夏だ!海だ!人気者で行こう!)に呑み込まれて、自身の音楽的ステータスには不要として、これらの曲に触れる機会を失うことなく、さらに、これらの曲の真意を理解できるリテラシーを持ち合わせていたならば、決して、先述のような放言や態度は無かったでしょう。
コメント