松田聖子と中森明菜、言わずと知れたこの二人が80年代女性アイドルの双璧と言って良いでしょう。
そして、この二人を双璧たらしめたのは、アイドルとしての容姿はもちろん、何より、同時代の女性アイドルに比して、二人が共に対照的な個性を伴った抜群のアーチスト性(歌唱力、表現力)を備えていたからにほかならないからでしょう。
また、楽曲制作陣としては、松田聖子には、松本隆を中心としたいわゆる「はっぴいえんど」人脈による錚々たる面々を控え、一方、中森明菜も人気実力派作家から気鋭の若手まで、こちらもまた錚々たる面々が控えていました。
そして、同時期に活躍した薬師丸ひろ子です。彼女は、その両派の作家陣を跨いでおりました。
例えば、デビュー曲「セーラー服と機関銃」は、中森明菜(「スローモーション」)と同じ来生たかおの作曲。また、数多く松田聖子に楽曲を提供した(「赤いスイートピー」等)松任谷由実からは、アイドル歌謡の枠を超えた名曲「Woman “Wの悲劇”より」が提供されています。その他、この両派のほとんどの作家陣(大瀧詠一、細野晴臣、井上陽水、玉置浩二、竹内まりや等)から、楽曲提供を受けています。
さらに、この二人には提供の無い中島みゆき、そして、昭和歌謡最大のヒットメーカー筒美京平からも名曲を授けられています。
これには、薬師丸ひろ子が松田聖子、中森明菜のような強烈な個性を有していなかったことが幸いし、作家からの提案に対して、期待に沿うような過剰な演出やフェイクを排し、丁寧で楽譜に忠実な歌唱で、逆に無色にしていくという仕掛けが、どんな曲もスタンダードナンバーのごとく聴かせてしまうという個性を有していたからでしょう。
売り上げ枚数やチャート獲得数という指標ではなく、背後に控えた作家陣と提供された楽曲のクオリティを鑑みた場合、薬師丸ひろ子は、松田聖子、中森明菜に並び得る存在というより、彼女達を超えた昭和歌謡を一人で具現化することのできる存在として、80年代女性歌謡アイドルの頂点に立っていると言っても過言ではないでしょうか。
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