1992年10月に発表された中島みゆきのアルバム「EAST ASIA」の収録曲の1曲に過ぎなかったこの「糸」は、少なくとも20年ほど前までは、まだ、私的な名曲でした。
2000年代初頭に、職場の後輩の結婚式の披露宴の余興で、カラオケを1曲お願いされていた自分は、事前に、式場の担当の人に中島みゆきの「糸」をリクエストしましたが、式場側のカラオケリストには、収録されておらず、結局、同じ中島みゆきの「誕生」を唄いました。「誕生」も同じ「EAST ASIA」に収録されており、シングルとして発売もされているこれまた文句のない名曲ですが。
今でこそ、多くのアーチストにカバーされ、ブライダルソングの定番曲という枠をも超えて愛される名曲「糸」も、当時は、まだ隠れた名曲でした。この曲が認知されるようになったのは、Bank Band(桜井和寿と小林武史らのユニット)のカバーアルバムで取り上げられ、CMで使用されたことがひとつのきっかけになっています。
この「糸」が、ここまで愛聴され、愛唱される理由は何でしょうか。他のブライダルソング系ラブソングで描かれる主人公(新郎・新婦、あるいは恋人同士)達は、お互いが寄り添うことで、あくまで「自分達」が幸福になることに終始しています。昭和歌謡の時代から、最近のヒップホップまで(お前がいるから俺は幸せなんだ、お前をこれからずっと守っていくぜ、幸せにするぜ)、全てこれです。
しかし、この「糸」では、お互いを縦の糸と横の糸になぞらえ、そのか細い糸も寄り添うことで強い「布」となり、そこから先、その「布」が「自分達」二人以外の「他人」を暖め、傷をかばうかもしれない(=幸福にすることができるかもしれない)として、そして、そのことこそが幸せだと唄っています。これまで誰かに庇護されていた人生が、パートナーを得て、次のステージとして、お互いの幸福が目的ではなく、次は、誰かを幸せにする順番となったこと(=大人になった)を示唆しています。
昨今、「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治家を初めとして、似非自己啓発系Youtuberから、あおり運転をする一般人まで、とかく自己愛が肥大化し幼児化した大人が増えているような世の中ですが、その一方で、「糸」に描かれるような本来の真に人として、他者の幸福を希求する人々も、実は大勢いることがこの「糸」が愛聴され、そして、愛唱される理由ではないでしょうか。
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