以前、NHKEテレにて、「ミュージック・ポートレイト」という切り口の変わった対談番組が放映されていました。全く異なるジャンルの著名人2人がそれぞれの人生の節目で、寄り添った大切な曲をそれぞれ10曲持ち寄り、お互いにその曲を紹介し、自身の半生を語り合うという内容でした。
この番組の中で、高田純次と大竹まことの対談回がありましたが、この回での高田純次のセレクトが非常に印象に残りました。それは、ジャンルの広さ(洋楽ポップスに始まり、演歌、アイドル歌謡、映画挿入歌等々)であり、同時に、それは感受性の豊かさあるいは、自身への権威付けやラベリングに対するこだわりのなさを示しているように思えました。そして、これこそが「高田純次=適当男」の正体であり、しなやかな強さの証しに思え、こうした人物理解を促すことがこの番組の真の意図だと理解しました。
また、別の回では、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔と、祖父が政治家(総理大臣)の某タレント(兼ミュージシャン)の回がありましたが、これはある程度予想はしていましたが、二人のミュージシャンとしての能力の差が浮き彫りとなる選曲でした。某タレントの選曲とその理由の浅薄さに比べて、鬼龍院翔の選曲は、現代の音楽の礎(西洋音楽限定かもしれませんが)を築いた音楽の父バッハにまで行き着いていました。やはり、この音楽に対しての洞察力や分析力がミュージシャンとしての能力の差につながっているものと感じざるを得ませんでした。
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